身近なモノの「誕生秘話」編Part24
Q1.芸者の流行から誕生したものはどっち?
A 花の名前
B 色の名前
Q2.実際にあった計画はどっち?
A 東京・大阪間を約15分で移動できる列車
B 富士山の頂上まで約5分で移動できるエレベーター
Q3.かつて大相撲であるルールを誕生させたが1場所のみで廃止となったのはどっち?
A 土俵の外から行司を行った
B 土俵の大きさを拡大
Q4.かつて交番に届けるとお金に換えてもらえたのはどっち?
A ネズミ
B 鉄くず
人気ブログランキングをチェックして、 続きを読む
【正解】
Q1.
B 色の名前
「新橋色」…緑がかった明るい青色

元々は明治時代中期に欧米から伝わった化学染料の一つだった
↓
これまでにはなかった鮮やかな色にいち早く目をつけたのが…
「新橋芸者」
当時花柳界の新興勢力だった新橋の芸者たちが着物や帯などにこぞってこの色を取り入れたことから「新橋色」という名に
新橋色は「ゆりかもめ・新橋駅」のテーマカラーにも採用
Q2.
A 東京・大阪間を約15分で移動できる列車
東京−大阪 約15分=時速約2000km/h
・夢の列車の実験は1959年(昭和34)から10年以上にわたり続けられた
超音速滑走体…ロケットエンジンを搭載し 空気抵抗をなくすため 真空状態のチューブ内を走らせることで高速化を図るという構想
指揮をとったのは…
名城大学(愛知県) 故・小澤久之亟名誉教授
・旧陸軍の爆撃機「飛龍」を設計した人物
1970年(昭和45)の滑走実験
・人間の代わりにカエルとカメを乗せ実験 1600mのコースをわずか3秒で移動 最高時速2535kmを記録したがストッパーに激突しカエルとカメは死んだ
↓
1971年の実験(VTR)
・改良が加えられ1972年の実験ではカエルやカメも生還
↓ しかし
・実用化に向けては重力(約30G)や資金面などの問題もあり小澤教授の死とともに実験は終了した
Q3.
B 土俵の大きさを拡大
大相撲の土俵
1931年(昭和6) 天覧相撲から直径15尺(4m55cm)
↓ ところが…
終戦直後の1945年(昭和20)秋場所
GHQ「土俵が狭いと勝負があっけなくてつまらない」
GHQの意向もあり土俵を16尺(4m85cm)に
69連勝の記録を持つ昭和の大横綱・双葉山が猛反発
・「狭い土俵で鍛錬研究した妙技を競うのが純正な相撲道」
・「いっそレスリングや拳闘 猛牛とでも取り組ませたらいい」
→ 引退のきっかけの1つになったとも…
その他の力士
「食糧難で体力が落ちているときに何だ」
→ 1場所のみで土俵は再び15尺に
Q4.
A ネズミ
ネズミを買い取ったのは伝染病・ペストの流行
1899年(明治32)10月神戸で日本初のペスト患者 大阪や広島などにも広がり約2か月で49人が感染40人が死亡
↓
ネズミに寄生するノミによって人に感染することは分かっていたため東京市ではある対策を…
↓
「ネズミ券の配布」…1匹につき5銭(当時 天丼7銭)
交番に持っていくとネズミ券がもらえ役所や銀行で換金できた
お金が絡めばこんなエピソードも…
ネズミを飼育し子どもを産ませ商売
→ 減るどころか増えた!?なんて話も…
東京・広尾にある祥雲寺では駆除されたネズミの冥福を祈るため 1902年(明治35)慰霊碑「鼠塚」が作られた
・解説
作家・雑学王
唐沢俊一さん
スポンサード リンク